SPECIAL
インタビュー
【NEWSPOインタビュー】体操 岩瀬喬佑さん
日本のお家芸ともいわれる男子体操。今回インタビューさせていただいた岩瀬喬佑さんには、先日体操のワークショップを開催していただきました。
体操界で数々の結果を残し、現在は指導者として体操に携わっている岩瀬さんから、体操の魅力や指導者として大切にしていることを伺います。
体操を通したご自身の経験から語られる、すべての基盤になる『人間力』とは…
体操ワークショップ、ありがとうございました!大盛況だったということですが、その時の感想を教えてください。
講師のような形で、体操のルール説明も交えながら教えるのは初めてでしたが、盛況ということで良かったです!ありがとうございました!
そもそも体操は、日本のお家芸と言われているにもかかわらず、種目やルールなど意外と知られていない。マイナースポーツの域を出ていない、難しいという先入観がある、というのは話していて実感しました。
少しでもとっつきやすいと感じてもらえたなら嬉しいです。
こんなに体操が面白かったのか!という声もワークショップを通してたくさん上がっていました。
今回、参加者には実際にバク転を体験してもらったと思うのですが。
難しさを体験してもらえたかなと思います。ワークショップの中でも伝えたんですが、体操は簡単なA難度~難しいI難度まで技の難易度が区切られています。
バク転はその中でA難度!じゃあI難度ってどんなやねんと(笑)。
めちゃめちゃ難しいんですよ。よく耳にするムーンサルトも、バク転と3ランクしか変わらないD難度。
I難度はバケモンみたいな、考えられないレベルなんですが、そういうところも体感してもらえたかなと。
ちなみに、最近有名な白井選手の技はどれくらいの難度なんでしょう?
彼はH難度の技を持っているんですが、体を伸ばしたまま縦に2回まわって、横に3回ひねるという技。
もう想像が追い付かない、えげつない…。ひねりすぎなんですよ。
(一同、白井選手の動画を見ながら感嘆)
すごい技が出てくる一方で、点数が上がりすぎないようにルールも4年に1度変わっています。どこかの国が一強になると、競技として発展していかないという側面もあり、体操界がよりよく発展していくよう、オリンピック後に改定があります。
だから、2連覇した内村選手はえげつない。彼は本当にすごい。
そういうところにも注目して、オリンピックを観戦をしようと思います!
そもそもなのですが、岩瀬さんが体操を始めたきかっけはなんでしょうか?
僕、団地に住んでたんですよ。団地に住んでいて、敷地内の公園の鉄棒で父親と一緒に逆上がりの練習とかしていたんです。最初は全然できなかったのに、ある日突然できるようになって、さらに空中逆上がりもついでにできちゃって。
そこから鉄棒が好きになって色々練習していたら、それを見た近所のおっちゃんから「そんなに鉄棒できるなら体操やったらええんちゃうか」と言葉をかけられまして。じゃあ、体操やってみようと近所の体操教室に通い始めたのがきっかけです。近所のおっちゃんの一言という、なかなか聞かないきかっけ(笑)。
それが5歳くらいの時で、それから大学卒業まで現役でした。
岩瀬さんの体操人生は、どのような経歴だったのでしょうか?
芽が出始めたのは、小学校4年生くらい。関西の試合で、1番下のレベルではあるけど優勝しました。そこでガンっと伸びて、小学校6年生の時に全日本ジュニアで3位になって、ジュニアナショナルという日本の強化選手に入ったんですよ。
中学1年生の、ちょうどシドニーオリンピックの年に、オーストラリアの国際大会に日本代表として出場しました。そこでたしか団体2位、個人で3位でした。
高校は京都の運動も勉強もできる学校で、僕は文武分別でやってました(笑)。そこでは高校2年生からレギュラーで、インターハイで団体2位。2年生の高校選抜では吊り輪で3位になりました。高校の競技成績は、そこが一番良かったですね。
大学は東海大学。体操は、その当時はそこまで強くはないところでした。競技成績もふるわず、意識がすこし落ちていた時期でもありました。
ただ、それまでトップレベルでやってきたので、ちょっと落ちたときに、正直めっちゃいややって思った自分がいて。今置かれた環境でやれることをやって、這い上がろうと思いました。
日本選手権出場を目標にして、4年生のインカレでは運よく床でいい点数が出たんです。それで全日本選手権の床の切符を手に入れて、代々木体育館(体操界での聖地)に立たせてもらいました。成績的には、床で10位でした。
経歴的には、こんなところです。浮き沈みは激しいけど、それなりに頑張ってやってきたかなと。
長い体操人生の中で沈んだこともあったということですが、そんな時、またトップに上り詰めよう、と思えた原動力は何だったんでしょうか?
負けず嫌いだったんですよね、基本的に。負けず嫌いだったけど、大学時代は環境とかのせいにして蓋してたんですよ。でも、過去に同レベルで競っていた人たちはどんどん上に行っていた。それを見てやっぱり悔しいな、ちゃんとやらんとなと。
というか、やりたいなと思って。
その後入ってきた後輩たちがすごくやる気があるメンバーで、負けてられんと切磋琢磨してやってきた部分もあります。
尊敬できる先輩もいました。穏やかだけど、環境関係なく練習はきっちりやる、結果を出す人。人間的にできた人だなと思っていました。そういう人になりたいなと。
だから、先輩にも後輩にも刺激をもらって、這い上がってやろうと思えました。
あこがれの選手や、ライバル視していた選手はいましたか?
そんないないんですよ(笑)。
それこそ大学の時の先輩はすごいなと思っていましたが、上手くはないんですよ。上手くはないけど、『強い』選手だったんです。
失敗はしない、力強い。何よりも見ていて思うのが、”この人練習してきてるな”っていう演技をする人だったんです。気持ちがこもった演技をしているというか。
そんな『強い』演技をする人だったので、そこに影響を受けた部分はあるかなと思います。
ただ、この人体操上手いな、すごいな、と憧れた人はいなかったかな、という感じです。
『強い』選手というところで、演技を見ただけで、”この人やってきてるな”とわかるものですか?
わかりますね。リオオリンピックの代表だった山室光史選手は、2000年のオーストラリア遠征で同じチームだったんですが、すごく強い演技をする子でした。練習が見えるというか、ほんまに積み重ねて積み重ねてやってきてんなと思う試合をしていました。
そういう意味では、内村選手もそうだなと思います。
明らかに練習してまっせ!て見せているわけじゃないんですけど、練習量が見える演技をしている選手はかっこいいなと思ってましたね。
やられてるからこそわかることなんですね。
具体的には、どれくらい練習されていたんですか?
大学の1番練習していた時は、授業が終わってから練習を始めて、22時か23時の閉門時間までやってました。
朝からの日は、11時から閉門時間まで体操場にいることもよくありました。
ずっと練習していたわけではないんですけど、その場所にいることがすごく大事だなって。
体操場にいたら、絶対体操のこと考えるじゃないですか。そこでずっと、どうやったら点数取れるかな、とか、こういうふうにしていったらもっと練習良くなるかな、とか、考えてましたね。
今まで伺ってきて、体操をずっと続けて華々しい結果も残されていますが、何がその結果に繋がったとお考えですか?
なんやろな…ここで親に感謝してますとか言ったらかっこいいんですけどね(笑)。
うーーん、虚栄心かな。見栄を張りたかった、かっこつけたかったというのは大いにあるなと。
昔から、人に見られていることを意識して行動することが多かったんです。
だから小さいときは、こういう成績をおさめたらかっこいいと思ってくれるかな、褒めてくれるかな、という欲求が大きかったと思います。
ただ、大学時代に思ったのは憧れでしたね。それまで一生懸命選手としてやってきて、そこそこの成績を残してきた中で、他の選手が大舞台に立っているのに自分だけ立ててへん、俺も出たいな、あそこで演技してみたいな、という気持ちが出てきて。
その憧れがあって、目標ができて、真剣に頑張れたと思います。
それまではただの見栄でした(笑)。
ずっと体操を続けてこられて、引退を考えるきっかけというのはなにかあったんですか?
声がかかるレベルではないと自分でもわかっていたし、大学4年生を区切りと考えてもいたので、そこで終わりかなと思っていました。
正直、社会人になって体操をやる環境というのがそんなにないんですよ。社会人になっても体操選手としてやっている人って、ほんとにトップ数パーセントの、ごく一部なんです。
そこまでの選手ではなかったら、仕事しながら趣味でやろうかな、となってくる。
そういう型にはまった考えで、ゴールを決めちゃってたんです。
引退されてから、すぐにトレーナーの道に進まれたんですか?
そうですね、引退が大学4年生の11月で、そこから12月末に就職先が決まって、そこから先生という仕事をしていました。
引退しても、体操には携わっていたいと思っていたんですか?
最初はなかったんですよ。全然違うことをやりたくて。というのも、体操だけ知っている自分というのも人間的な幅が狭いんじゃないかなと思って。
だから就職活動の時も、色々な会社の話を聞いて見聞を広げようと思っていました。服が好きだったので、アパレル業界を受けたりもしましたし。
何社か受かった会社もあって、見聞は広めたけど、自分がやりたい仕事ってなんだろうと改めて考えたんです。
となると、やっぱり体操だなと。
その時にちょうど、体操の会社に内定が決まっていた大学の同級生から声をかけてもらって。マジ?行く行く、と(笑)。
ということがあって、体操の先生をやろう、となりました。
実際に現役で体操をやっていた時と、教えるという立場になった時とで、体操への考え方や見方に変化はありましたか?
言い方はあれなんですけど、”こんなにできへんねや!”と。
就職してからは、幼稚園や保育園の体操の先生として教えていたんです。
昔の自分は体操教室に行って、ある程度できている状態で、ある程度できている子たちとやっていて、前回りや倒立で苦労した覚えがなかったんです。
でも、指導する立場で幼稚園や保育園に行ったら、”前まわりって、普通にできへんねや…”という絶望感。前回りって回るだけなのに、何を教える必要が、と思っていたところに、回れない、鉄棒の上に乗れない、ジャンプできない…
なんで?ってなりました。なんでできないのかがよくわからなかったんです。最初はそれが1番つらかった。
回れない、鉄棒の上に乗れない、という、昔の自分とは違う子供たちと相対したとき、どうやって気持ちを理解していったんでしょうか?
この子たちは何も経験したことがない、経験したことがないことを教えるのが仕事、と会社の上司の方たちに教わりました。
当時、会社の中で体操選手だったのは自分ひとり。体操のことは誰よりも知っているつもりでしたが、子供たちに体操を教える術は持っていませんでした。
逆に上司の方たちは、自身は体操はできないけど教える術は持っている。そのギャップを、上司たちに教えてもらいながら埋めていきました。
子供たちはできなくて当たり前。どうやったら伝わるかかみ砕いて、段階的に教えていってあげて。ちゃんと考えて、伝わるように伝えることが『指導』だと。
そういうことを考えられるようになって、はじめて指導していると思えるようになってきました。
子供たちに教えている中で、嬉しい瞬間ってありましたか?
いっぱいありすぎて困るんですが…こういうときって斜め上の答えを出したいじゃないですか(笑)。
でも、単純に、人として成長したなと実感できたときは嬉しかったですね。
幼稚園を卒業して小学生になってからも、幼稚園の施設で体操を続けている子たちがいるんです。その中に発達障害の子がいまして。年長のときは施設内を走り回ったり、話を聞かなかったり、上級生からも注意を受けたりしていたんです。
でも、もっと年下の子が入ってきたら、”それちょっと違うよ”とその子が注意をしていて。
昔は言われる側だった子が、注意する側になっていていたんです。
周りはみんな微笑ましくみていたんですが、ぐっときたんですよね。
体操的な技術じゃなく、人間的に成長したな、というところに携われたこともですし、自分がやってきたことや伝えてきたことが、子供たちから子供たちに継承されている、というのも嬉しかったです。
子供たちに教えていく中で岩瀬さんが大事にされているのも、そういう人間的な成長、という部分なんでしょうか?
そうですね。今の教育って、ああしなさいこうしなさいと、制限が多いと思うんです。ちゃんと座ってなさい、ちゃんと話を聞きなさい、とか。でも、自分でも言っていて、なんでなんやろ?と疑問を持つことがあります。
今の自分が言われたらどう思うんやろう。きっと”なんで?”って聞いちゃう。
今の教育が大人のエゴになっているとしたら、それは違うなと。自ら考えて動けるようになることが教育だと思うんです。
なんで話を聞かないといけないか、というのは子供たちにもしっかり伝えています。
たとえば、
「ちゃんと座って話を聞こうって先生に言われるよね。なんでだと思う?聞かなきゃいけないから、じゃない。ちゃんと座る、ちゃんと聞くっていうことは、君のやる気の姿勢なんだよ。」と。
「だらんとした姿勢で”頑張ります”って言っても、そのやる気は伝わる?伝わらないよね。やる気になった時、君たちは自然と背筋を伸ばして、姿勢を正して”頑張ります”って言うはず。
君たちは今、跳び箱が飛べるようになりたいか、鉄棒ができるようになりたいか、それともそうじゃないか、どっち?できるようになりたいなら、その姿勢は伝わってる?
できるようになりたいなら、君たちはどういう姿勢を取るの?」
先生に言われないとできないなら、いつまでもその子は先生に依存してしまう。
だからこそ、自分でどうするか、考えられるようになってほしい。それが人間的な成長じゃないですか。
自分自身も、人間的に成長しないといけないなとすごく思っていて。『いい指導者』である前に、『いい人間』であろうと。
…いや、いいこと言った――――!!(笑)
(笑)
いい指導者である前に、いい人間である、深いですね…。では競技者として、そして指導者として体操にかかわる中で、改めて、体操競技の魅力とは?
人間が見える競技だと思うんです。
フィギュアスケートの羽生結弦選手は、人間的にも成熟していて、演技にそれが表れてるっていうじゃないですか。演技するスポーツって、人間性が出ると思うんです。
演技しているときは対自分でしかないので、どんな練習をしてきたか、どういう想いで演技をしているか、というのがすべて乗っかってくる。
人はそこに感動を覚えるもの。一流はそこが見える。だからこそ体操も、人間力の高い人が上に行くと思います。
それが体操の面白さでもあり、難しさでもあり、というところですかね。
人間力の高い人とは?
今思っている人間力の高い人は、『応援される人』かなと。最後の一押しって、周りの声援に助けられるっていうじゃないですか。嘘でも偽りでもなく、僕自身もその声援に背中を押してもらってきました。
応援される人とは、どんな人だと思いますか?
魅力のある人、ですかね。明るくて、元気で、まじめで、素直で、って学校の標語みたいですけど(笑)。
テレビのインタビューでも、下向いて”全然ダメなんすよ”って言ってるトップ選手いないじゃないですか。
どんな状況でも、いい言葉、いい表情、いい雰囲気を出している人。だからこそ環境に左右されない。
岩瀬さんの今後の夢やビジョンは?
日本の教育を、スポーツで、家庭から変えていきたいですね。
さっきも言った通り、今の教育ってどちらかというと詰め込みのトップダウンの指導。もちろん、僕自身もまだまだ気を付けていかないといけないんですが。
そうなっているのって、家庭の影響が大きいと思うんです。子供が一番影響を受けるのは親御さん。今まで親御さんの世代がそういう教育を受けてきたなら、それが子供にも影響しているはず。
子供たちを通して、親御さんたちと、自分自身と、3者一体で協力してやっていきたい。
そうやって、スポーツを通じて教育を変えていきたいと思っています。
ぜひ我々新スポーツ推進団体も、協力して何かやっていけたらと思います!
本日はとても濃いお話をありがとうございました!